それでもボクはやってない

治っているようで全く治っていません。
それはともかく。
昨日見てきた映画一本目は『それでもボクはやってない』です。
映画「それでもボクはやってない」←公式サイトですが、重すぎ


簡単にご紹介を。『それでもボクはやってない』は、周防正行(すお・まさゆき*1)監督による日本映画で、日本の裁判制度を描いた映画です。エンタテイメント性はほぼなく、かなり社会派の作品となっています。
主演は加瀬亮(かせ・りょう)さん。普通の青年を好演されてます。他に、役所広司さん、山本耕史さん、鈴木蘭々さんなどなどなかなかの豪華キャスト。個人的にはひさしぶりに蘭々さんが見れたのが嬉しかった。


周防監督というと、エンタテイメント作品の多い監督さんだと思ってたのですが、この作品に関しては、楽しいという感じではありませんでした。
いやー、もうね、気重になるですよ。病気の時に見てはいけません。
笑い飛ばせる感じだといいなぁとかすかに期待していたんですが。やっぱり駄目でした。
映画として駄目って訳ではないのですが、リアリティをだしてるので、あまりのことに怒りがこみ上げてくるのです。
「人ひとりの人生をなんだと思ってるんだ!」と。


劇中、「痴漢冤罪事件には、日本の裁判制度の問題点が凝縮されている」といった台詞(正確ではないかもですが)があった気がしたんですが、見ているとなるほど「これは酷い」と思わされます。予断と偏見の支配する裁判。上でも書きましたが、本当に何度スクリーンに物投げてやろうかと思ったかわかりません。本当に酷い。
痴漢冤罪というのは、確かに難しい問題です。個人的には、痴漢した人間に対しては、その両腕を切り落としてしまえばいいと本気で思ってる人間なんですが、冤罪があるがためにそうもできないわけで、やはりそこは難しい問題なのだなと思うのです。


映画を見ているとわかるのですが、冤罪をかけられた側は相当不利な状況に立たされます。
最初から犯人と決め付けられた対応、警察での取り調べ、検察の聴取、裁判等々。
もちろん、そうなる理由もわからないではありません。痴漢が多すぎる上に、証拠らしい証拠が残らない為に否認する人間も多いから、本当に犯人なのかどうかわからないというものです。だから、警察も検察も最初から犯人に決まってるという予断を持って事に臨んできますし、裁判官とても(もっとも、裁判官には別の面で問題があるんですが)そうだったりすると。
ただ、それで無実の人に罪を被せてしまっては意味が無い。卑劣な犯罪者は裁かれてしかるべきですが、無実の人間が犯罪者にされてしまうのはあまりに哀しい。それはあってはいけないことです。
とはいえ、(見ているだけの)自分は無力だなぁと思うわけです。
劇中では、山本さん演じる友人等の人たちが凄く努力して主人公を支えるんですけれども、果たして自分にそこまでできるかなと思いました。いい家族友人持ってるこの映画の主人公ですら、気持ち的に追い込まれていくわけで、そう言う人がいなかったら果たしてどうなることかと。


裁判シーンは淡々と進む感じですが、これが現実(に近い)のだろうなと思うと、それだけで頭痛がします。弁護側、検察側が意見を述べては数日後に続きの繰り返し。劇中では直ぐに次の裁判が始まるわけですが、実際にはそれなりの時間がたつわけで、そりゃこんなことしてたら時間も掛かるわという感じです。逆に短期間で裁判するにしても、それはそれでおざなりな審理になるなどの影響があるんでしょうけれど。うーん・・・難しいものですね。


それにしても、こんな現況のなか、裁判員制度も始まるそうですが、果たして成り立つものでしょうかね。
司法に関わっている人たちと、普段関わりの無い人たちとの間の意識の差というのはそれはそれは大きな壁があるような気がしてなりません。意識、あるいは常識というべきでしょうか。果たして私はあの人たちと歩み寄れるのだろうかという、そういう大きな不安があります。本当にやるつもりなのかなぁあれ・・・。凄く不安です。


ともかく、日本の司法制度、裁判に関して考えるいい契機にはなると思います。映画として楽しいというわけではやっぱり無いんですが・・・。愕然とすること請け合いです。
映画の感想自体はもう『酷い』の一語につきるのですが、いろいろと考えたり、言いたくなったりする、そういう映画のような気がします。

*1:先日のめざましテレビでは、『すおう』でもいいですよとはおっしゃられていましたが